手書きの署名をリアルタイムで本人確認する機能
「75年間のイノベーション」シリーズでは、SRIが設立された1946年から現在に至るまでの数々の画期的なイノベーションを取り上げます。SRIの英語ブログでは、2021年11月の75周年を迎える日まで、毎週1つずつイノベーションに関する記事をリリースしています。この日本語ブログでは、その中からいくつかを日本語にてご紹介します。
「筆使い」と署名の検証
現在のデジタル社会に至るまでには、さまざまな道のりがありました。その1つが、手書き文字をコンピューターが読めるものにするという、複雑で長い道のりです。SRIインターナショナルでは、コンピューターのマウスを発明したダグラス・エンゲルバート(Douglas Engelbart)を筆頭に人間とコンピューターのインターフェース開発に取り組んできました。
1960年代、SRIは「手書き文字を機械で読めるようにする」という未解決だった課題を解消すべく取り組みました。手書き文字を機械で読めるようにすれば、署名の偽造などの面倒な問題を解決でき、アルファベット以外の東アジアの文字(例えば日本語など)をコンピューターに入力する際にも役立ちます。そして生まれたのが、手書き文字をリアルタイムで読み取ることができる道具の「SRIペン」です。
デジタルの紙に筆(ペン)を入れる
SRIには、人とコンピューターが結びついたときに発生する定義の難しい課題を解決してきた歴史があります。1950年代後半、SRIはERMAシステム(Electronic Recording Machine and Accounting:電子記録機および会計)の開発に取り組んでおり、その一環として磁気インキ文字読取装置(MICR: Magnetic Ink Character Reading)を開発していました。SRIのHew Craneは、このプロジェクトに興味を惹かれました。ERMAプロジェクトでは印刷文字をコンピューターで読みこませることに取り組んでいましたが、Craneは手書きの文字をコンピューターに読ませる方法を開発したいと思ったのです。これは、ペンが筆記面に触れる「書く」という行為が、データを収集・処理・理解するためのツールとなる可能性があるということです。
この論理の飛躍が自動手書き認証の鍵となり、行動生体認証への第一歩となりました。小切手の手書き文字に着目してプロジェクトを開始したCraneにとって、ERMAはインスピレーションの源でした。ERMAは印刷文字だけを処理しますが、Craneはペンを使うときの「動作」が署名そのものと同様に、その人の署名の一部を成していることに気づきました。この「動作」は今日も行動生体認証の技術に活用されており、アカウントのログインやその他オンライン上で行うアクティビティの不正を検出しています。
1960年代に初めてデモンストレーションを行った「SRIペン」は、0から9までの数字を書く動作を認識するようにプログラムした方向感知型のペンをベースにしていました。このペンは、数字を書くときに使う4つの方向を感知していました。しかし、この概念実証では多くの実証システムと同様、許容しがたい制限がありました。ペンを所定の向きで持ち、決められた書き順で数字を書かなければいけなかったのです。このような制限はありましたが、コンセプト自体は証明されました。
自動筆跡鑑定はどのように偽造者を判別したのか
多くのイノベーションの飛躍に共通することですが、このアイデアが成熟するには時間がかかりました。SRIがここで紹介する手書きシステムの特許を取得したのは1975年です。
「ペンとこれに付随する回路は、各文字を書くときに連続して動く方向を示す連続した信号を生成することで、手書き文字を認識するシステムを提供する」“A system for identifying handwritten characters is provided wherein a pen and associated circuitry generate a sequence of signals representing a sequence of directions which is taken to write each character.”
1970年代半ばになると産業界からの関心が高まったこともあり、SRIは歪みゲージの配列を利用して筆圧を3次元で測定する新バージョンのSRIペンを作りました。また、その頃、Xebec Systemsがスポンサーとなり、SRIペンですべての英数字を認識できるよう開発を進めました。その後も開発を続けた結果、文字認識の幅が広がり、左利きの人に対する制限も緩和できました。これらの改良により、このペンは署名認証システムとして発展していきました。この種の生体認証システムは、クレジットカードの普及に伴い、特にPOS(販売時点情報管理)端末が必要としていました。VISAをはじめとするクレジットカード会社が顧客となりましたが、SRIペンはクレジットカード業界でコスト面において不利な状況に立たされてしまいました。大半が小額請求であることも相まって、署名認証装置の設置コストに対して誤認識率が高すぎると判断されたのです。
その後、この研究は米国国防総省原子力局(Defense Nuclear Agency)がスポンサーとなり続けられました。SRIは1981年、署名の3つの軸となる動作を基にした自動署名検証の有効性を評価するため、1年にわたる研究を実施しました。この研究では、59人の被験者から5,220の署名と1,740の数字列を収集しました。また、訓練を受けた12人の偽造者が648件の偽造を試みました。偽造者はそれぞれSRIの署名検証システムの動作についてトレーニングを受けた上で本物の署名も活用しており、さらに真の署名者が署名を書いている動画も見て3週間かけて練習しました。
生体認証で使われる等価エラー率(EER:Equal Error Rate)とは、生体認証システムの精度を表す用語です。また、等価エラー率は、他人受入率(FAR:False Acceptance Rate)と本人拒否率(FRR:False Rejection Rate)が一致するように調整した後のエラー率です。EERの数値が小さい機器ほど、精度が高いことを意味します。本研究の結果、3軸ペンシステムを用いた署名動作認証では、すべての被験者に対して基準となる特徴を適用した場合、1%程度のEERであることが判明しました。
デジタルペンは自らを歴史に書く(刻む)
SRIペンは、日本語など東アジアの文字を取り込むことができるなど、その可能性に注目が集まっていました。1981年にはSRIのスピンオフ企業であるCommunications Intelligence Corporation(CIC)が設立され、NCR Corporationのペン入力ノートパソコンや、アップルが販売していた日本語の入力が可能な「MacHandwriter」などの製品が発売されました。
1990年代には携帯情報端末(PDAs:Personal Digital Assistants)や一部の携帯電話にスタイラスやデジタルペンが搭載され、また、ノートパソコンにもペンを搭載したものがありました。これらのペンは、手書きテキストを取り込んで、機械で読める形に変換できるようにしたものです。SRIが開発した革新的な自動署名認証は、現在の行動生体認証技術の基礎となりました。
私たちが日常で使っている手書きの文字を、パワフルなデジタルメディアに変換するには、構想と数十年にわたるイノベーションが必要でした。ペンの力は続きます。かつてSRIからスピンオフをしたCICは現在iSIGNとなり電子署名ソリューションの業界をリードする存在です。クリックするだけで簡単にサインできるWebブラウザ署名から、数百万ドルもかけた高度なカスタマイズの実装まで幅広いサービスを提供しています。
参考資料:
The Dish, 75 Years of Innovation: The computer mouse: https://medium.com/dish/75-years-of-innovation-the-computer-mouse-fef5161ba45d
The Dish, ERMA, A Banking Baby Boomer: How SRI Helped the Bank of America to Become the First Automated Bank:
https://medium.com/dish/75-years-of-innovation-banking-automation-erma-f297ad8c55fd
U.S. Patent 3,930,229, Crane, et.al. 1975
1981 study published by SRI International and sponsored by the Defense Nuclear Agency into automatic signature verification effectiveness: https://apps.dtic.mil/sti/pdfs/ADA111329.pdf
CIC (iSIGN): https://isignnow.com/